南米東岸、サンアントニオの港から南南東へ何日か船を飛ばすと、双子のように並んだ二つの小島が見えてくる。
今年も俺は、その双子島を望める海域までやって来た。
もう何年も前の話だ。
当時俺は一年の大半を船の上で過ごしていた。今も忘れられない、その相棒の戦列艦…名は【ラ・ムー】。その船を駆り賞金稼ぎとして世界中の賞金首を追いながら、その傍らで俺は一つの団体に所属していた。毎年奇抜な巡業を行いつつ世界を回り、身体を鍛える事の大切さ、そして笑う事のすばらしさを人々に説いて回る、そんな団体だった。
団体はいつの間にか大きくなり、そこで俺は多くの仲間と出会った。やがて俺は仲間たちと巡業以外でも各地を共に旅し、様々な出来事に遭遇しながら絆を深めていった。故郷を飛び出して久しかった俺にとって、あいつらの居る場所はまさに第二の故郷と呼ぶにふさわしかった。人生において最も重要な宝のひとつは、そう呼べる仲間だろう。
だが、そんなある日。
仲間の一人だったある少女が、俺たちの前から忽然と姿を消した。
少女は船に乗って一人南へ向かい、そして、深い海の底へ沈んでいったという。
彼女がなぜ、そうしなければならなかったのか…。それは今も分からない。分かる事は、この先も生涯、俺にはその理由を知る事はできないだろうという事だけだ。
その知らせを聞いて、彼女を慕うもう一人の仲間が…海に消えた少女とちょうど同じくらいの年頃の少女が、後を追うように船を駆って海へと飛び出して行った。自暴自棄に陥っていたのだろうか、武装もないその船で海賊の群れに突っ込んだりと無茶苦茶をやりながら、ついに彼女も南へ…そう、先に姿を消した少女が眠る海域へたどり着く。そして、同じように、旅立って行った。冷たく暗い、水の底へ。
俺たちは悲嘆に暮れた。なぜこんな事になったのか…。理由を説明できる者は、一人もいなかった。取り残された俺たちにできる事は、二人を悼み、悲しみと向き合い、そして立ち向かう事だけだった。
その時の俺は、居ても立ってもいられなかった。【ラ・ムー】を飛ばし、南へ向かった。二人が消息を絶ったのは、ちょうど今俺がいるこの辺りの海域だったらしい。ここまでやってきた俺は、沖合いに浮かぶ二つの島を見つけた。互いに至近距離に浮かぶその島。寄り添う姉妹のように…あの二人のように、俺には見えた。沈んで行く夕日がちょうど二つの島の間に消えて行こうとしていた。西から吹いてくる潮風に乗って、二人がさよならを言うのが聴こえたような気がしたのを、今でも覚えている。
あれから数年が経った。
当時の仲間たちもその多くは海から去り、かく言う俺もまた、陸で暮らす身となった。
けれど。
毎年一度、この海を訪れるのは、俺の数少ない決め事のひとつになっている。双子の島を眺め、帰らぬ二人を想い出す。それはかつての仲間たちを、楽しかった日々を、思い出す事にも繋がる。その為に俺は当時持っていた船のうち今乗っているこの一隻を、国に金を払ってセビリアの港に保管しておいてもらっている。
当初は二人を想うたびに悲しくて仕方なかった。だが今では、無論悲しみはあるが、それは徐々に薄らいでいっている気がする。時が、時の流れだけが、俺の心を少しずつ癒してくれているのだろう。
時は流れ、決して戻る事はない。別れを繰り返すのは、人として生きる以上避けられない事だ。道端ですれ違うのと同じような味気ない別れもあれば、生涯決して忘れる事のできない心抉られるような別れもある。できる事なら、そうした別れは二度と経験したくないものだ。だがきっと、人の身である俺に操れるような事ではないだろう。再びあの時のような、胸張り裂けるような別れが襲い掛かって来ることもあるかもしれない。そして大切なのは、そうした時、決して絶望してはいけないという事。悲しみに耐え、足をとられず、前を向いて生き続ける事だと思う。
なぜ。なぜ、そうまでして生きねばならないのか?
あの時、俺は残される者の悲しみを知ってしまった。突然この世から姿を消され、どうしていいのかも分からず右往左往するしかなかった俺。少なくとも、俺自身はそうした人をつくりたくない。俺のせいで悲しむ人を、つくりたくないのだ。
ならば、生きるしかないじゃないか?
どんなに辛い事があろうと、歯を食いしばって進むしかないじゃないか?
人は、己のためだけに生きる事はできない。誰かのためにと思えれば、そこに生きる意味が生まれる。価値が生まれる。だから人は、そういう誰かを捜し求めて生きているのではないか。最近、俺はそう思っている。
俺は手に持っていた花束を、そっと海へ投げ込んだ。陸から何日もかかってたどり着いたこの海。花束はすでに萎れてしまっている。あの二人はどう思うだろう。こんな萎れた花束いらない、と言って投げ返したく思うだろうか。いずれにせよ花束はしばらく海に浮かんでいたが、やがて波に飲まれて海中へと消えていった。
無我夢中でここまで船を飛ばしたあの日、俺の隣には二人の副官がいた。一人は今と同じように海中へ消えて行く花束を見届けると瞑目して天に祈りを捧げ、もう一人はそっぽを向いたまま羽根のついたソンブレロを目深にかぶりなおして表情を隠した。そして二人とも、俺の傍にいてくれた。
だが今は、二人の姿は傍にはない。俺が海に別れを告げ陸に上がった日に、別れたきりだ。
一人は、昔世話になった教会のあった場所に、もう一度教会を建てるのだと言って東へ向かった。
もう一人は、また誰か面白そうな船長を見つけてみるさと言ってどこへともなく去った。
そういえば結局、二人とも俺と出会う前の話をしてくれる事は、ついになかったな。
二人とも、元気にしているだろうか。誰かのために、生きているだろうか。
陽が暮れていく。どうやら、そろそろ帰途につく頃合のようだ。
俺は、この海で安らかに眠る二人の名を呼んだ。
また来年、ここに来るよ。
挨拶は決まっている。
さよならじゃなく、またね、と。
了
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